3階展示室 「貨幣の歴史」
3階では、古代から現代までに日本で使用された様々な貨幣や珍しい外国の貨幣を展示しています。みなさんが現在使っている貨幣と比べてみてください。その個性的な形に驚かされると思います。中には、びっくりするくらい貴重な貨幣もありますよ。
日本の貨幣の歴史も見てくださいね。
富本銭〔レプリカ〕
※奈良文化財研究所所蔵
天武12年〔683年〕に、銅銭が造られました。飛鳥池遺跡〔奈良県〕などから発見された「富本」と書かれた銅銭です。「富本」とは、国を富ませ、民を富ませる本、という意味です。
和同開珎
和同開珎は、和銅元年〔708年〕に中国の開元通宝をモデルにして造られたといわれていますが、朝廷がしきりに使用を進めたにもかかわらず、流通したのは主に都の近くだけでした。
渡来銭〔宋銭と明銭〕
宋銭

明銭
平安時代から江戸時代になるまでの約600年間は、日本の貨幣造りは行われませんでした。市では、中国から輸入された大量の渡来銭が使われました。
10世紀半ばすぎ、宋が中国を統一しました。商業や都市の発達とともに貨幣も大量に造られ、その宋銭を日本は輸入し、国内で使っていました。
明〔中国〕は足利義満を日本国王と認め、国交を結んで貿易を行いました。日本は明から銅銭や絹織物などを輸入し、明へ銅などを輸出しました。
天正長大判
豊臣秀吉は、生野銀山〔兵庫県〕などの開発を進めて統一的な金貨・銀貨を造りました。
この天正長大判は、縦が約17.5cmで、世界最大級の金貨といわれています。
江戸時代の大判
江戸幕府は、金・銀・銭貨の発行権を独占し、全国に流通させました。金銀銭の貨幣を交換する両替商も増えました。
佐渡金山、石見銀山、足尾銅山などの鉱山も栄え、採掘された金などは、貨幣に使われました。
元禄大判
17世紀後半には、人々の生活は豊かになり、将軍や大名も贅沢になって支出が増え続けたので、幕府は深刻な財政難に陥りました。
そこで5代将軍徳川綱吉は、金貨・銀貨の質を落として貨幣の数量を増やし、財政難を切り抜けようとしましたが、物価が上がって人々を苦しめる結果となりました。
享保大判
6、7代の将軍に用いられた儒学者の新井白石は、金貨・銀貨の質を元に戻し、貿易を制限して金銀の流出を抑えることによって、物価の安定と財政の立て直しを図りました。
近代造幣局の誕生
20円金貨幣
明治政府は明治4年〔1871年〕に、大阪川崎の地に近代洋式貨幣工場を建設し、純正画一な貨幣の製造を開始しました。
明治4年〔1871年〕に制定された「新貨条例」によって、貨幣の単位が「円」と定められました。
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