旧正門
造幣局ができた当時の正門です。
門の両脇の小さな建物は、衛兵の詰所でした。衛兵とは、今でいうガードマンですね。
昔は、車や電車がまだ無かったので、機械や貨幣の材料は船で運んでいました。
そのため、造幣局の建物も川の方向に向けて建てられていました。
大阪市顕彰史跡、国の史跡になっています。
ガス燈
造幣局ができた当時のもので、日本で一番古い西洋式のガス燈です。※
それまで(江戸時代)は油を用いた行燈や提灯を使っていましたので、ガスを用いた照明はとても珍しく、日が暮れるとたくさんの見物人が集まったと言われています。
国の史跡になっています。
※ガスを用いた照明としては、江戸時代に島立甫が亀戸の自宅で灯したというのが古い記録となります。また、島津斉彬が作らせたガスで灯る石灯籠もあります。
横浜のガス灯は、明治5(1872)年に、日本で最初に事業としてガスが供給され、灯されたものとなりますので、ガス事業としては日本で最も古いガス灯となります。
造幣局のガス燈は、明治4(1871)年に構内や付近の街路に屋外照明用として65基、室内照明用として621基が設置されましたので、「西洋式のガス燈として日本で一番古い」と表現しております。
めがね橋
昔は船で荷物を運んでいたので、造幣局のなかに船着き場がありました。
その船着き場と旧淀川を結ぶ入り江に架けられていたのが、めがね橋です。
明治4(1871)年に完成し、中央に膨らみがあることからこの名前が付いたと言われています。
今はもう入り江は埋め立てられてありません。
昭和32(1957)年に現在の赤い橋に改装されました。
造幣博物館
明治44(1911)年に建てられた火力発電所を改装して博物館にしました。
昔は、工場で使う機械を動かすための電気を自分達で作っていたんですよ。
造幣博物館については、博物館へ行こう!で紹介しています。
洗心洞跡
大塩平八郎は、大坂町奉行の与力をやめた後、「洗心洞」という塾で陽明学※という学問を研究し、教えていました。
今は、洗心洞の跡に石碑が建てられ、大阪市顕彰史跡になっています。
※中国の明時代に、王陽明という学者(思想家)が唱えた学問。理論を重んじる朱子学に対して、実践を重視した。
与力役宅門
江戸時代、造幣局のまわりには、大坂東町奉行天満与力の役宅※がありました。
今は役宅門だけが残っています。
※役宅とは、その役目に当たる人が住む家のことです。
大塩の乱 槐跡 石碑
天保8(1837)年に大塩平八郎は、飢饉で苦しむ農民や町民をほうっておけず、豪商の屋敷に火をかけるなどして乱を起こしました。
この時の砲弾でひきさかれた槐が残っていましたが、昭和59(1984)年に枯れてしまいました。
現在、国道一号線沿いに石碑が建てられています。
旧造幣寮鋳造所正門玄関
造幣寮(昔の造幣局の名称)の金銀貨幣鋳造所の正面玄関を移設保存して、明治天皇記念館(聖徳館)として建設されたものです。
戦後、桜宮公会堂となり、ユースアートギャラリーとして利用されていました。
現在は、大阪市の活用事業により「旧桜宮公会堂」としてブライダル・レストラン利用されています。
旧造幣寮鋳造所正面玄関部分については、国の重要文化財に指定されており、大阪市が管理しています。
泉布観
造幣寮(昔の造幣局の名称)の応接所として建てられました。
明治天皇により、貨幣を意味する「泉布」と館を意味する「観」から名前が付けられました。
現在は、国の重要文化財に指定されており、大阪市が管理しています。