3階展示室 主な展示品
天正菱大判
豊臣秀吉の造った大判で金の品位も高く、太閤にふさわしく、貨幣史上最も豪華といわれています。大判の上下に菱形の桐極印があるので、菱大判と呼ばれています。
天正長大判
菱大判より上下が長いので、長大判と呼ばれています。世界最大級の金貨幣として知られ、長さは17.0㎝、幅11.0㎝あります。
竹流金
永禄、天正の頃から豪族・大名達が、軍資金として備蓄したり恩賞用としたもので、竹のような形の鋳型に流し込んで造られたとみられます。
昭和10年大阪淀川から発見されたもので、大坂城落城の際の遺物とされています。
明治の金貨
明治政府は維新での大混乱を整理するため、新貨条例を制定し、金本位制の下で新しい貨幣を発行しました。デザインについては、欧米各国のように元首の肖像を入れてはという意見もありましたが、「現人神の天皇の肖像が人民の手に触れて汚れることは、恐れ多い」という理由から、これに代えて龍(天子の顔を龍顔という)の図案が採用されました。
富本銭(レプリカ)
富本銭は、和同開珎の発行(708年)にさかのぼる事25年前の、天武12年(683年)に鋳造されました。
平成11年(1999年)に奈良県飛鳥村の飛鳥池遺跡から出土したものをモデルに、奈良文化財研究所が当時の素材及び鋳造方法で忠実に再現して製作した、貴重なレプリカです。(奈良文化財研究所 所蔵)
皇朝十二銭
和銅元年(708年)に日本政府は和同開珎を鋳造しました。この鋳造から250年の間に、万年通宝などの銅貨幣11種類が誕生しました。このうちの銅貨幣を称して、皇朝十二銭と呼んでいます。
銀箱(丁銀箱)
「江戸の金遣い、上方の銀遣い」とも言われるように、関西地方では銀を中心に経済が回っていたため、銀箱が非常に使用されていました。この箱の中には、丁銀220本ほどと、量目の調整のための小粒銀が、併せて37.5㎏ほど入っていました。(大阪商業大学商業史博物館 所蔵)
小判座模型
造幣博物館が所蔵している金座絵巻の中から、文政小判金を造っている工程の一部を模型で再現したものです。作業を行っている職人などが、それぞれ表情豊かに再現されています。