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造幣局150年のあゆみ
明治新政府は、混乱した貨幣制度を立て直すため、造幣工場の建設を決定。
わが国初の本格的な洋式設備による近代的工場である造幣局の建設が竣工。
2月15日(新暦4月4日)、右大臣三条実美ら政府高官、各国公使など合わせて約100名が列席し、創業式を挙行。
わが国初の近代的通貨法規である「新貨条例」が制定される。通貨単位が円、銭、厘と定められ、実質的に金銀複本位制を採用。
新貨条例に基づき金貨幣5種、銀貨幣4種、銅貨幣4種が製造された。
我が国の勲章(旭日章の章身)の製造を開始。
大蔵省内に造幣局東京出張所開設(明治40年廃止)
時の造幣局長 遠藤謹助の発案により造幣局構内の桜並木の一般開放が始まる(「桜の通り抜け」の開始)
本格的な金本位制を採用した「貨幣法」が制定される。
貨幣法は昭和63年 (1988年)に廃止されるまでわが国貨幣の基本法としての地位を保ち続けた。
大阪・中之島中央公会堂にて創業50周年記念式典を挙行。
わが国の勲章の本格的な製造を開始。
東京市麹町区に東京出張所を開設(後に豊島区に移転)し、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)業務を開始。
従来の貨幣材料を軍需に振り向けるべく、貨幣の材質変更の必要が生じ「臨時通貨法」が制定される。
臨時通貨法は昭和63年 (1988年)に廃止されるまで効力を有し続けてきた。
広島支局開設、仮工場で貨幣の圧印検査作業開始。ほどなく原爆により被災。
広島支局、現在地(広島市佐伯区)で操業開始。
現行の1円アルミニウム貨幣、発行開始。
図案は公募され約2600点の応募があった。
現行の5円黄銅貨幣及び10円青銅貨幣、発行開始。
わが国初の記念貨幣である「オリンピック東京大会記念」千円銀貨幣、100円銀貨幣を発行。
現行の50円白銅貨幣及び100円白銅貨幣、発行開始。
明治44年 (1911年)に火力発電所として建設された建物を改装し、造幣博物館が開館。
皇太子同妃両殿下の御臨席の下、福田大蔵大臣主宰により造幣事業100年記念式典を挙行。
高度経済成長に伴う小額貨幣の需要が高まり、貨幣製造枚数が過去最高を記録(56億1千万枚)。
貨幣セットの国内向けの交付業務を開始。
海外向けの貨幣セット交付は昭和44年 (1969年)に開始。
500円白銅貨幣の発行開始。一般流通用の貨幣が1円から500円までの6貨種となる。
収集用に表面に光沢をもたせた「プルーフ貨幣」セットの製造を開始。
「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」制定(翌63年施行)。
「貨幣法」、「臨時通貨法」等が廃止され、名実ともに金本位制に終止符。
消費税の導入により釣銭などに用いられる小額貨幣の需要が高まり、1円貨幣製造枚数が過去最高を記録。
広島支局において「花のまわりみち」開始。
500円ニッケル黄銅貨幣の発行開始。流通貨幣に世界で初めて斜めギザを採用。
初めてカラー印刷を施した貨幣を製造・販売(第5回アジア冬季競技大会記念千円銀貨幣)。
造幣局が財務省の特別の機関から独立行政法人に移行。
戦後初となる外国貨幣(ニュージーランド1ドル銀貨幣)の製造を受注。
造幣博物館(大阪本局)、リニューアルオープン。
初めて虹色発色技術を採用した貨幣を製造・販売(第67回国際通貨基金・世界銀行グループ年次総会記念千円銀貨幣)。
戦後初となる外国一般流通貨幣(バングラデシュ2タカ貨幣)の製造を受注。
東京支局がさいたま市大宮区に移転し「造幣局さいたま支局」として開局。
さいたま支局において「桜のさんぽ道」開始。
二色三層構造や異形斜めギザなどの最先端の偽造防止技術を施した新しい500円貨幣の製造を開始。