150周年

リレーエッセイ

創業150周年を迎えた造幣局に向けて

元東京支局貨幣課作業長 千葉 敏雄

今回、造幣局が創業150周年を迎えたことを記念して職員のOB・OGからの寄稿をとの依頼があり、私も長い年月をお世話になった造幣局に少しでもお役に立てればとの思いで、私なりの思いを綴ってみました。

顧みれば、1962年(昭和37年)に東京支局に新職員として総勢十数名で入局しましたが、当時、支局は貨幣製造の材料溶解から圧印・検査までの一貫作業の開始に向けて準備していたところでした。私達は支局での研修期間を終えた後、貨幣課配属予定者が2班に分かれ、私は先発隊として大阪本局での貨幣製造の研修を受けるため大阪に向かいました。当時は現在のように新幹線等は無く、東海道線の急行で長い時間をかけて移動。大阪到着後は、庁舎内での挨拶を済ませた後貨幣工場等の見学がありました。色々な機械等があり、その作業風景に驚いたことを記憶しています。

その後本局各所の説明等を受け、翌日より本格的に現場研修となりました。数班に分かれて溶解工程から圧印・検査工程までの現場作業に携わり、特に大型機械を扱う上での細心の注意とチームワークを心掛けて作業に従事することの大事さを教えていただき、研修期間中、このことを常に心に留めていたのを覚えています。また、業務以外では、研修期間中の宿舎生活で、夏の暑い夜にクーラーも扇風機等もなく、あまりの暑さに我慢出来ず宿舎裏にあったプールに夜間に泳ぎに入ったところ巡回中の警備職員の方に見つかって怒られ、また、休日は、空心町交差路という地名だったと思いますが、その近くの飲食店で朝食のおかずの納豆を頼んだら甘納豆が出て来たり、理髪店で散髪後自分自身で顔を洗うことを知らずボーっとしていて笑われたり、東京と大阪で生活の面で色々違いがあることを初めて知りましたが、戸惑いながらも本局の職員の助けをもらい、仕事の面や宿舎での生活で尊い経験をしたものでした。

その後本局研修も終了し、半年振りに全員無事に帰京しました。その頃、支局の一貫作業工程はまだ工事中であり、私達研修者は圧印係に配置されて工事の完了までそこでの作業に従事し、工事完了後は大阪本局・広島支局からの転勤職員の協力もあり、研修成果を発揮できる仕事(冷間圧延)に励むことになりました。一貫作業は順調に進みましたが、世の中の流れの変化などあって一貫作業体制は長く続かず、寂しながら圧印作業に移ることになるという時代でした。今思えば古き良き時代だったと思います。今の人生の半分以上の年月を造幣局にお世話になり感無量との思いです。

今後、令和の時代にIT産業等の発展が激しくなると思いますが、造幣局の現役職員の皆様におかれては新しい思考力と想像力を生かし新しい造幣局の姿を作っていってください。最後になりますが、今後の造幣局の益々の発展・ご繁栄と同時に、職員の皆様の御健康をお祈りしております。