150周年

リレーエッセイ

五代友厚と造幣局~創業150周年に寄せて~

追手門学院大学経営学部教授、京都大学公共政策大学院講師、元造幣局理事長 百嶋 計

私が造幣局理事長(第73代)に就任した平成27年4月1日は折しも独法通則法改正により造幣局が行政執行法人と位置付けられた日で、かつて内閣官房で独法改革の初期段階に携わっただけに感慨深いものがありました。大阪の高校出身、1964年東京大会以来のオリンピック・ファン、EXPO‘70大阪万博以来の記念貨幣コレクター、また各地の名所・名木を訪ねてきた桜愛好者、そして歴史ファンである私にとって、公務員人生最終盤に造幣局の長に任ぜられたことは、個人としても大変幸せなことでした。特に、在任中明治150年を迎え、明治維新功労者の群像がこの地で躍動していたことに思いを巡らせ、「歴史」の重みを強く感じていました。

その中でも特に「長州五傑」は、4人が造幣局トップを務め創業に深く関わりましたが、薩摩藩の五代友厚もまた、造幣機械を香港から調達した功労者として、造幣博物館に肖像レリーフが掲げられています。その五代が、在任中放映されたNHK朝ドラ「あさが来た」で大ブレークしました。もとより五代は大阪では、商工会議所初代会頭であり「大阪経済の父」「大阪の大恩人」として敬慕を集めてきましたが、かつての日本史教科書では「政商」などと記されていました。このドラマによって、そんな負のイメージは完全に払拭されました。

理事長就任直後、私は旧友でこのドラマにも出演予定の俳優・辰巳琢郎君に呼ばれ、チーフプロデューサー・佐野元彦さんとお会いしました。朝ドラで幕末から明治を描くのは初めてという佐野さんの熱い話に魅了されているうちに「桜の通り抜けは五代友厚が始めたのですか。」と尋ねられました。確かに当時そのように記しているウェブサイトもありました。私は「第10代造幣局長・遠藤謹助の発案です。」と造幣局の正史や五代友厚と造幣局の関わりを説明しつつ、ふと気づいて「五代友厚と遠藤謹助ら長州五傑は同じ時期に英国に滞在していましたね。」ということもお話しました。

ドラマでは、ディーン・フジオカさん演じる五代友厚が死に瀕した大事な場面で、桜の通り抜けについて「あれは局長のアイデアです。私はただ局員だけで見ていたのでは勿体ないと呟いただけです。」と語るシーンがありました。薩長と出身は違っても同時期に身命を賭してイギリスに密航し、ともに近代国家建設を志した五代と遠藤はおそらく明治の大阪でも強い絆で結ばれていたことでしょう。佐野さんは「あり得ないことは描かないが、あったかもしれないことは描く。」と、この印象的なシーンを仕上げられたのだと感じました。

五代友厚が創業の功労者という縁で、五代が創設した大阪市立大学に新たな銅像が建立された際に、ご子孫やサプライズで来られたディーンさんとともに除幕をさせていただいたことは、在任中の忘れ難い思い出です。

さて退官した今私が教鞭を執っている追手門学院の創設者は、五代と同じ薩摩出身で松方正義内閣の閣僚も務めた高島鞆之助です。高島は明治天皇行幸の際侍従として造幣局を訪れ、後にその対岸に前身となる学校を創設しました。これも不思議な縁と感じています。