150周年

リレーエッセイ

穴あき貨幣の歴史

造幣博物館学芸員 澤﨑 瞳

現在流通している貨幣の中で、有孔貨幣、通称穴あき貨幣は2種類あります。5円と50円です。5円は昭和24(1949)年、50円は昭和34(1959)年に製造が始まりました。ところで、造幣局の歴史を振り返ると、穴あき貨幣の製造は大正時代から行われていたことが分かります。

造幣局が最初に製造した穴あき貨幣は、大正5(1916)年に制定された5銭白銅貨幣です。貨幣の中央に穴をあけたのは、材料節約と偽造防止のためでした。


大正6年銘5銭白銅貨幣

明治4(1871)年に銀貨として誕生した5銭貨幣は、表面に龍、裏面に菊紋・桐紋・桐と、太陽を表す日章がデザインされていました。その後、素材が白銅に変更され、菊や稲穂の図柄が使われた後、中央に穴があいた貨幣となったのです。図柄も変更し、表面に菊紋と桐と「五錢」の文字が刻まれ、裏面には円鏡の周囲を八枚の花弁でかたどった八稜鏡(はちりょうきょう)と、波をかたどった青海波(せいがいは)が刻まれました。

造幣局が次に製造した穴あき貨幣は、大正9(1920)年に制定された10銭白銅貨幣です。
5銭貨幣と同様、銀貨として誕生した10銭貨幣は、図柄も5銭貨幣とほぼ同じものでした。明治6(1873)年に日章が「十錢」の文字に変わり、さらに明治40(1907)年に龍が消え、表面に菊紋と「十錢」の文字、裏面は日章を桜花で囲んだデザインに変更して、大正6(1917)年まで製造されました。

大正7(1918)年、8(1919)年には新たな仕様の10銭銀貨幣が製造されましたが、銀価格の暴騰により市中に流通することなく、すべて鋳潰され、代わって製造することになったのが、白銅製の穴あき10銭貨幣でした。


大正9年銘10銭白銅貨幣

その後、5銭と10銭の製造は、デザインや素材を変更しながら続けられましたが、昭和19(1944)年に貨幣材料の調達が困難になり、製造が中止されました。この頃の造幣局では、貨幣工場の設備を使って砲弾や航空機の部品の製造を行っていたため、他の貨幣の製造量も減少していました。

昭和20(1945)年、太平洋戦争が終わると、新たなデザインの10銭と5銭が製造されました。10銭には稲穂、5銭には鳩の図案が使われましたが、これらは穴あき貨幣ではない上に、昭和21(1946)年10月に製造中止となり、明治時代から続いていた10銭と5銭の製造は、完全に終了しました。

大正から昭和にかけて日本中で使われた5銭と10銭は、どちらも今は流通していない貨幣ですが、戦前の造幣局で製造した、貴重な穴あき貨幣です。5円や50円を見た時には、昔の穴あき貨幣にも想いを馳せてみてください。