150周年

リレーエッセイ

私が造幣局職員として過ごした日々~造幣局創業150周年に寄せて~

元造幣局広島支局長 國平 健次

私は、造幣局が創業100周年を迎える前年、昭和45年4月に入局し、常勤、再任用、パート職員として平成30年3月まで48年間、主として製造現場を支える総務部門で勤務しました。

入局は東京支局(東池袋)で、隣接して高いコンクリート塀の東京拘置所がありました。支局周辺は、その後拘置所が移転して跡地にサンシャイン60が建設されるなど、大きく様変わりしました。
東京支局では厚生係に配置され、当時はまだソロバンを弾いて事務を行っていました。その後支局内で会計課に配置換され、昭和49年6月から3年間は大蔵省主計局司計課に併任となりました。併任による私の使命は、官庁会計事務の効率化等を目的とする大蔵省のプロジェクトチームにおいてシステムエンジニアに造幣局特別会計の仕組み等を理解してもらうことでした。会計課配置から1年という新人ですから財政会計六法を手元に置きながらの説明で懐かしい勉強時代です。

この後、平成元年3月東京支局の総務調査官として東京支局の将来構想を検討するプロジェクトチーム事務局担当を命じられました。造幣局の使命を遂行する中での東京支局の役割等について取りまとめるとともに、移転が必要となった場合の適地について財務局に調査依頼等を行ったものです。平成10年7月には本局総務課企画調整官に配置され、政府行政改革会議最終報告に示された造幣局の独立行政法人移行について大蔵省内で行われる検討会議の資料作成チーム取りまとめを命じられました。政府による最終判断は独立行政法人という現在の姿です。私は国の機関ではなくなることに対する不安はあったものの、一方で造幣局独自の判断による国民へのサービス提供範囲が広くなるのではと期待も膨らませたものです。

造幣局勤務の特に後半は人事や給与制度を担当することが多くなりました。職務内容に応じた時差勤務の導入、定時退庁日の設定、実態に即した超過勤務手当支給のための予算確保等に努めるとともに、職員個々の努力を給与に反映すべく特別昇給制度と勤務評定制度の整備についても労働組合との交渉を重ね実現できたことは嬉しい記憶として残っています。

平成13年8月販売事業課長に配置されました。職務経験の中で唯一製品の企画が出来る職場であり、同年誕生された敬宮愛子内親王殿下をお祝いする記念メダルの製造企画や平成15年4月で新生・独立行政法人造幣局と鉄腕アトムの誕生が重なるとの情報を得て記念の貨幣セット製造企画を発案し実現にこぎつけたことは忘れられない思い出です。

最後に常勤で勤務した広島支局は私が生まれ幼児のときに父が現役職員のまま亡くなった職場です。現在は、材料の溶解から一貫して貨幣製造ができる造幣局唯一の工場ですが、子供の頃に憧れていた職場でもありました。純正画一で偽造されない貨幣の安定的かつ確実な供給等に寄与する造幣局で働けたことに感謝。

造幣局は、偽造されない貨幣を製造するために必要な金属に関する様々な知見と加工技術、品格と広報性を併せ持つ貨幣の模様・図柄を生み出す美術的な感性と芸術的な彫塑の技術などを持つ職員を数多く有し育てています。今後、貨幣・勲章等を製造する技術や貴金属等を分析する技術が様々な分野で発揮できる環境が整えられ、後輩の皆さん方が国民生活の向上に更に寄与し活躍されることを期待しています。