「平泉仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は、12世紀に奥州藤原氏が現世における仏国土(浄土)を空間的に表現することを目的として創造した一群の建築・庭園の芸術作品を含む「中尊寺」、「毛越寺」、「観自在王院跡」、「無量光院跡」と、それらと直接的な文脈及び空間的一体性をもつ「金鶏山」の5つの資産で構成されています。
中尊寺は、平泉の中心部北側の関山丘陵に位置する寺院です。奥州藤原氏初代清衡は、日本の北方領域における政治・行政上の拠点として平泉を造営するに当たり、12世紀初頭から四半世紀をかけて、現世における仏国土(浄土)を表現する中核の寺院として最初に中尊寺を造営しました。
境内には、金色堂をはじめ、金色堂覆堂、経蔵などの建造物が存在するほか、大池伽藍跡など多くの遺跡が良好な状態で残っています。
毛越寺は、12世紀中頃に奥州藤原氏二代基衡が造営に着手し、三代秀衡の時代に完成に至った寺院です。12世紀末期の毛越寺には、40にも及ぶ堂宇と500にものぼる禅坊が存在したとされています(『吾妻鏡』)。現在も浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されています。
観自在王院跡は、毛越寺の東に接し基衡の妻が建立した寺院の跡。「舞鶴が池」と呼称される園池を中心として、北側には大小の阿弥陀堂が設けられ、「浄土庭園」が造られていました。
無量光院跡は、奥州藤原氏三代秀衡が、平等院鳳凰堂を模して建立した寺院の跡です。建物の中心線は西の金鶏山山頂と直線で結ばれ、春秋には、夕刻時に金鶏山の山頂付近に日輪が沈むよう設計されていました。
金鶏山は、中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置し、平泉を守るため雌雄一対の黄金の鶏を埋めたという伝説が残る山です。頂上には経塚が営まれた跡があり、平泉のまちづくりの基礎となった象徴の山であったとされています。